社会保険適用拡大からまもなく1年。 改めて考える「メリット」と「課題」

税・社会保障 2025/08/01

パートやアルバイトなど短時間で働く人たちの社会保険の適用が、2024年10月に従業員51人以上の企業へと拡大されてから、まもなく1年が経とうとしています。「106万円の壁」という言葉が飛び交い、従業員と企業、双方に大きな影響を与えたこの制度変更。今、私たちはこの変化をどう捉え、どう向き合っていくべきなのでしょうか。改めて、その注意点と社会が抱える課題を整理します。


適用拡大への対応は、多くの中小企業にとって簡単ではありませんでした。経営者や人事担当者が直面したのは、大きく分けて3つの壁といえます。


第1の壁は「把握と手続きの壁」です。まず、自社の従業員の中から「週20時間以上」「月収8.8万円以上」といった複雑な要件に合致する対象者を正確に洗い出す必要がありました。特に、月々のシフトによって労働時間が変動する従業員が多いところは煩雑化が増し、給与計算や社会保険の資格取得手続きなど、バックオフィスの負担は確実に増加しました。


第2の壁は、経営に直結する「コスト増の壁」です。社会保険料は労使折半。新たに対象となる従業員が1人増えるごとに、企業は年間で多くの法定福利費を新たに負担することになります。このコスト増は、物価高や人件費上昇に苦しむ中小企業の経営をさらに圧迫する要因となり、新たな投資や賃上げへの足かせになるといった声も少なくありません。


そして第3の壁が、「コミュニケーションの壁」です。従業員にとって、社会保険加入は手取りが減るという直接的なデメリットを伴います。なぜ加入が必要なのか、そして将来の年金増加や手厚い医療保障といったメリットを丁寧に説明し、納得を得るプロセスは不可欠でした。このコミュニケーションを怠れば、従業員のモチベーション低下や、人手不足に悩む中での「働き控え」による離職につながりかねませんので、人手不足の時代には大きな痛手となったことでしょう。


一方で、働く側にとっては、自身のキャリアとライフプランを改めて考える大きなきっかけとなったことも事実ではないでしょうか。「目先の手取り額」と「将来への安心」という天秤が置かれることになり、どっちが得なのかという議論に翻弄された方も多いでしょう。


給与から保険料が天引きされることで、月々の手取りが1万円以上減ってしまう現実は、日々の生活を直撃しますので、これまで配偶者の扶養の範囲で働いてきた人にとっては、大きな変化です。この「106万円の壁」を前に、あえて労働時間を抑える「働き控え」を選択した人がいたのも事実でしょう。


しかし、この天秤のもう一方には、お金には代えがたい「安心」という価値があります。これまで国民年金だけだった人が厚生年金にも加入することで、将来受け取る年金額は着実に増えます。また、病気やけがで長期間働けなくなった際の「傷病手当金」や、出産時の「出産手当金」は、万が一の時の強力なセーフティネットです。


社会保険適用拡大は、働く人々の安心を広げるという大きな目的を持つ、避けては通れない改革です。その過程で生じる痛みや課題から目をそむけることなく、企業は変化に対応する経営努力を、働く人は自身のキャリアを長期的な視点で見つめ直すことが求められています。この大きな変化を、より強く、より公平な社会を築くためのチャンスと捉えたいものです。


公的保険アドバイザー協会

理事 福島紀夫